こんにちわ!たる旅のマーシーです。
先日小樽の歴史的建造物のひとつでもある旧魁陽亭を題材としたシンポジウムに参加してきました。
旧魁陽亭とは明治期から約150年もの間営業していた歴史のある料亭です。
なぜタイトルが「かいようてい」と
ひらがなで題したかといいますと
この旧魁陽亭には3つの「かいようてい」の歴史があるんです
①魁陽亭の時代
②開陽亭の時代
③海陽亭の時代
以下、「旧魁陽亭冊子ダイジェスト日本語版 ver3」(国立大学法人小樽商科大学 グローカル戦略推進センター 研究支援部門地域経済研究部 編・発行)より引用しております。
①魁陽亭時代
一番最初の魁陽亭のはじまりは安政初期まで遡り、「松井某」が創業したと伝えられています。
魁陽亭の所在地だった山ノ上は、入船川と勝内川の間にある海岸に面した小高い丘で、
航海安全の守り神「弁天社」があったところだそうです。
この丘の上に魁陽亭が建ったのは明治初期頃と考えられており、
当時は小樽にやって来た北前船主や船乗り、商人たちに親しまれた料亭だったとのこと。
ちなみに現在残っている建物は、明治29年に発生した住ノ江大火により焼失したあと、再建されたものです。
②開陽亭時代
その後、明治39年に魁陽亭は一度廃業してしまうのですが、
函館で「丸も」という料理店を経営していた宮松コウが経営することになり、
明治40年に「合同会社開陽亭」を設立し、正式に開陽亭を引き継ぐこととなりました。
開陽亭時代以降は著名な政治家や経済人たちが多数のエピソードやゆかりの遺産を残しており、
明治42年には伊藤博文が韓国皇太子を伴い小樽を訪問した際に、伊藤博文は開陽亭に宿泊しています。
当時、伊藤博文のために新調した寝具は現在でも残っているようです。
③海陽亭時代
開陽亭は大正末から昭和のはじめ頃にかけて再び苦境に陥ってしまいましたが、
閉業を惜しむ人たちの支援もあり、「海陽亭」と商号を変更して引き継がれます。
この時代に小樽本店の他、札幌店や東京の銀座店も開店しましたが、
小樽の衰退に伴い客が激減したのとは対照的に札幌店や銀座店は成功を収め、
石原裕次郎などの著名人たちが小樽店にも来店するようになったと言われています。
かなり抜粋した内容になってしまいましたが、
平成27年に閉店するまでにたくさんの人に親しまれた料亭がこの「旧魁陽亭」です。
現在は一般公開されていない為、中に立ち入ることはできませんが
機会があれば是非一度この目で見てみたいものです。
会場のパネル展
というわけで
学んだことのアウトプットでした。
マーシー